ちょうど一週間前の話。
渋幕時代の旧友であるK村氏と、
久し振りに本八幡で盃を交わした。
やがて話は、
最近の‟怪談事情”に移っていった。
所謂『創作怪談』の問題点。
プロットの弱さや矛盾点・・・等、
K村氏は、ズバズバと“痛い所”を
衝いていったのであった。
そして、
一人の語り部が抱える噺の限界点について。
これだけ怪談師が溢れ返る現代に於いて、
個人の“持ちネタ”を蒐集するのにも、
人一倍の苦労があると思われる。
そんな中で一つの体験談は、
単なる消耗品なのだろうか?
私は怪異譚が持つ一番の怖ろしさは、
その噺自体が、
人々の記憶から忘れ去られる事だと思う。
(怪談師が)競合するのは悪いとは言わない。
常に新作を追い求めるのも良いだろう。
然し、些細な出来事の裏に隠された“怪異”を、
どうか忘れないで欲しいと切に願う。
そして如何やらK村氏は、
私の人形に纏わる体験談に、
非常に興味があるようだった。
敢えて此処にリンクは貼らないが、
私自身が(未だに)最も恐れている噺である。
次回の『オカルト談義』にて、
是に関して何か進展があるかもしれない。
乞うご期待。
そんな感じで、久し振りの旧友との再会は、
微妙な盛り上がりを見せ、お開きとなった。
本日は此処まで。
渋幕時代の旧友であるK村氏と、
久し振りに本八幡で盃を交わした。
やがて話は、
最近の‟怪談事情”に移っていった。
所謂『創作怪談』の問題点。
プロットの弱さや矛盾点・・・等、
K村氏は、ズバズバと“痛い所”を
衝いていったのであった。
そして、
一人の語り部が抱える噺の限界点について。
これだけ怪談師が溢れ返る現代に於いて、
個人の“持ちネタ”を蒐集するのにも、
人一倍の苦労があると思われる。
そんな中で一つの体験談は、
単なる消耗品なのだろうか?
私は怪異譚が持つ一番の怖ろしさは、
その噺自体が、
人々の記憶から忘れ去られる事だと思う。
(怪談師が)競合するのは悪いとは言わない。
常に新作を追い求めるのも良いだろう。
然し、些細な出来事の裏に隠された“怪異”を、
どうか忘れないで欲しいと切に願う。
そして如何やらK村氏は、
私の人形に纏わる体験談に、
非常に興味があるようだった。
敢えて此処にリンクは貼らないが、
私自身が(未だに)最も恐れている噺である。
次回の『オカルト談義』にて、
是に関して何か進展があるかもしれない。
乞うご期待。
そんな感じで、久し振りの旧友との再会は、
微妙な盛り上がりを見せ、お開きとなった。
本日は此処まで。
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