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痛風男の備忘録
怪異譚に憑りつかれた、或る男の半生を綴ります。
狂言 『楽阿弥』
久し振りに、
伝統芸能の記事でも書こうかと思う。

今回取り上げるのは、
狂言の『楽阿弥』という曲である。

以下、粗筋を記しておく。


旅の僧が
松に尺八が掛けられているのを
不審に思って、所の者に尋ねると、

昔、楽阿弥という尺八吹きが
尺八を吹き死にしたという旧跡で、
今日が命日なのだという。

旅僧が尺八を吹いて弔っていると、
楽阿弥の幽霊が現れ、
ともに尺八を吹いた後、
最期の様子などを謡い舞う。

出典 『岩波講座 能・狂言』


何時だったか忘れたが、
私はこの曲を
東京都の水道橋に在る
宝生能楽堂で観た事がある。

『楽阿弥』は普通の狂言と違い、
シテ(主役)とワキ(脇役)が出て、
更に地謡(コーラス)と囃子方が出るので、
何方かと言うと、現行の能楽に近い。

なかなか上演の機会が無い『稀曲』である。


何故この様な曲が完成したか?
それは狂言の歴史を辿って往けば、
自ずと答えが出て来る。


元々、能と狂言は一体の芸能であった。

遥か昔、
大陸から雅楽が日本へ輸入された時、
大和朝廷による楽曲の選別が行われた。

朝廷にとって雅楽は、
仏教伝播の為のプロパガンダだったので、
滑稽な楽曲は其処から省かれた。


それが今現在に伝わる
能・狂言の原型であった訳である。

当時それらは『散楽』と呼ばれ、
主に寺社仏閣に帰属する形で、
演者達は何とか生き延びていた。


やがて長い歴史の中で、
能はシリアスな歌舞劇に、
狂言はコミカルな台詞劇へと姿を整え、

そして今現在、私達が鑑賞出来る
『能・狂言』というスタイルに完結した。


二つの芸能が一体である証拠に、
今もなお能の前場と後場の間に、
『間狂言』といって狂言役者が登場して、
物語の粗筋等を語る場面がある。

『楽阿弥』は、そういった
二つの芸能の原型を留めた物として、
評価されて良い楽曲だと私は思う。


狂言というと、ただ笑いだけを
追求しているように思われがちだが、
中にはこの様なシリアスな作品もある。

前記の如く、
なかなか上演の機会が無い“遠い”演目だが、
もし鑑賞の機会に恵まれたら、
狂言の歩んで来た歴史を感じつつ、
作品の世界を堪能して頂けたらと思う。

以上、駄文にお付き合い頂き、
感謝申し上げる次第。
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TVに纏わる怪異譚
引き籠っていた頃の話。

完全に昼夜逆転した
生活を送っていた私にとって、
深夜放送のTVは、
欠く事の出来ない存在だった。


或る夜。
私は何時もの様に、
ブラウン管に齧りついていた。

確か『テレビ朝日』だったと
記憶している。

一人の女性が主人公の
ドラマを観ていた時。


画面には、
女性の暮らすワンルームの様子が
映し出されていた。

主人公がフレームアウトする瞬間、
洗面台の鏡に、
突如『男の顔』が現れた。

ストーリーとは全く関係の無い
男だった。

蒼白い顔は、
此方を睨みつける様な形相で、
私は思わず固まってしまった。


その後の話の展開に、
彼が登場する事は無く、

あれは一体何だったのか?
未だに解らない
深夜の出来事だった。
砂嵐
某投稿系の心霊ビデオシリーズの話。

どの巻か忘れたが、
合間合間に、投稿された
『砂嵐』を垂れ流す内容だった。

然しどれもこれも“ハズレ”で、

『くだらない。
もっとマシな企画を持って来い!』
と少々御立腹な私であった。


そんな中、一件だけ“当り”があった。

砂嵐の中、目を閉じた男が、
静かに此方を向いていた。

薄緑色のそれは、
今にも何かを語り出しそうだった。


観ていて何だか頭が痛くなったので、
恐らくそれは、邪気に溢れたもの
だったのかもしれない。

因みに、制作サイドからの警告として、
それが見えてしまった人は、
それと何らかの関係があるとの事だった。

思い当たる節があったので、
柄にもなく背筋が凍ってしまった
私であった。
続 新耳袋
怪談本の金字塔『新耳袋』。

以前にも書いたが、
私はこのシリーズの熱心な読者であった。


そんな中、一度だけ
不思議な体験をした事がある。

赤色の表紙の巻だったと記憶している。
私は確かに、以下に記す様な話を読んだ。


或る女性の体験。

会社からの帰り道、
何時もの様にバスに乗り込んだ彼女は、
一日の疲れからか、寝てしまう。

ふと気付くとバスは停車しており、
エンジンも切った状態だった。

『終点まで寝過ごしてしまった』
と思った彼女は、
運転手に事情を説明しようと、
バスの前部に向かった。

運転席に座る彼を見ると、
何故か狐の仮面を着けていた。

気持ち悪くなったので、
自分が座っていた席に戻ろうと後ろを向くと、

他の乗客全員が、
何故か狐の仮面を着けていた。
彼女は其処で気絶してしまう。

次に気付いた時、
彼女は明け方の墓地に居た。


そんな話を私は確かに読んだ。
結構気に入ったので、
また読み返そうとページを捲ったのだが、

何度確かめても、
そんな話は何処にも載っていなかった。


私は幻を読んだのであろうか?
決して読み間違いでは無いと思う。

文字通り“狐につままれた”のであろうか?
未だに理解に苦しむ体験である。


読者の皆様の中で、
前記の話を知っている方がいらしたら、
是非この記事にコメント頂きたい。
スナッフに纏わる覚書
ふと気付くと、
このブログの投稿記事が、
100件に達していた。

その記念にと言っては何だが、
昔から気になっている事柄について、
綴ろうと思う。


『スナッフ』
要するに『殺人実況動画』の事である。
詳しくはこちら→『スナッフフイルム』

その存在については、
昔から或る意味“都市伝説化”していた。

『スナッフ』と謳っていても、
作り物だったりするケースが
大半を占めていた。


然し今現在、それを取り巻く事情が、
変わりつつあると思う。

例えば『イスラム国(IS)』に拠る
捕虜の首切り動画などは、
立派な『スナッフ』であろう。

現代のネット社会に於いて、
それを見つけるのは、
意外と簡単なのかもしれない。


一部では或る種の性的嗜好と
捉えられているようだが、
何れにせよ異常な世界であるのは
間違いない。

私自身、
それを観たいとは全く思わないが、

昔から実しやかに伝えられて来た
“闇(又は裏社会)”として、
興味・関心がない訳では無い。


其処には恐らく、
怪異譚よりも過激で恐ろしい世界が、
拡がっている事だろう。

然し好き好んで、
其処に足を踏み入れようとは思わない。

トラウマになるのは確実だし、
何処かで犯罪に加担しているようで
気が進まない。


まだ幽霊と戯れている方が、
全然可愛い世界だと私は思う。

『スナッフ』。
或る意味“都市伝説化”していた方が、
幸せなのかもしれない。


それにしても、
100件記念の記事がコレである。
私は相当病んでいるのかもしれない。

まぁこれに懲りずに、
これからもお付き合いの程、
宜しくお願い申し上げる次第。
善光寺詣で
長野の古刹、善光寺。

私達一族の間で、
此処への参拝は禁忌とされている。

何故かと言うと、
参拝後に必ず一族の誰かが、
死ぬからである。


或る時。
そういった迷信は信じない人が禁忌を犯し、
善光寺へ出向いた事があったが、
その後親族の一人が亡くなった。

私は親族の中で、
殺したい程憎んでいた奴が居たので、
『上等だ』と思い、
試しに別院である京都の得浄明院
詣でてみた事がある。


雰囲気のあるお寺で、
私は長野の善光寺と同じ、
『戒壇巡り』に参加した。

暗闇の中、
私は親戚の不幸を念じた。

思いの丈を全て吐き出し、
私は満足だった。


然しそう言った邪念は通じないらしく、
私の参拝後に誰かが亡くなる事は無かった。

その代わり、私達家族が離散した。
やはり良からぬ想いは、
仏様も全て見抜いておられるのだろう。


それでも尚、善光寺詣は、
私達一族の間で、禁忌とされている。

『迷信』『単なる偶然』
と言われれば其れ迄だが、

世の中には、
そう言った定めがある事は確かである、
と私は思う。
神隠し
幼い頃。

夏休みは、
決まって父の田舎である
千葉県旭市へ帰省していた。

田圃や山々に囲まれた父の実家は、
子供達にとって、絶好の遊び場だった。


或る夏の日。
例年の如く私達家族は、
父の田舎を訪れていた。

其処で事件は起きた。
村に住む或る若い女性が、
突如行方不明になったらしい。

失踪する寸前まで、
彼女は村人達に目撃されていた。
自転車に乗って、田圃の畦道を
通っていたそうだ。


これが一村人なら
そんなに騒ぎにならないが、
有ろうことか、失踪した女性は、
村の鎮守の氏子総代の娘だった。

早速、地元警察も加わり、
村を挙げての捜索が始まった。


『帰るぞ』
突然父は私達に告げた。
訳も解らぬ儘、私達は帰途へと就いた。

後から父から聞いた話に拠ると、
村で何か事件が有った時、
真っ先に疑われるのは
“余所者”だと言う事だった。

今にして思うに、
私達家族に疑惑の目が向けられる前に、
父が採った最良の手段だったと言える。


それから数年が経った或る夏の日。
女性は無事に発見された。

村人に拠ると、
失踪した場所に“あの日あの時の儘”
突然姿を現したそうだ。

容姿も失踪当時の態で、
そのまま年齢を重ねたようだった。

その後、彼女は地元の病院へ送られた。


あれから何年も経ち、
村には平穏な日々が戻り、
私達家族も、以前と変わらぬ、
田舎で暮らす日々が戻っていた。

『神隠しだったのでは?』
何時しか村では、
そんな噂が囁かれるようになった。


ただ今でも気になるのは、
彼女が退院したという話を聞かない事だ。

閉鎖的な村社会に於いて、
彼女の存在は、
最早受け入れられないものと
なってしまったのか?


父も過去の人となり、
今は旭市に行く事も無くなったが、
時々ふとこの話を想い出すのである。
怪談サイトに思う事
このブログを立ち上げてから、
web上に数多ある怪談サイトを
閲覧するようになった。

色々な解釈が在って当然だが、
主に2ちゃんからコピペしているサイトや、
動画配信サイトからのリンクが結構目に付く。

『まとめ』という意味では、
その存在意義があるのだろうが、

やはりオリジナルの話を
載せているサイトの方が
読み応えがある。


折角web上に掲載するのだから、
独創的な怪異譚で勝負したい
と私は思っている。

話の数は少なくても、
読み手を飽きさせない
質を何処までも追及したい、
そう考えている。


やはり自分の文章で綴った方が、
相手にも印象的に映るのではないか。

余り物書きは得意な方ではないが、
拙い文章でも常に読み手を意識して、
書いているつもりである。

此方が作品に秘めた想いが、
相手に伝われば、
ブロガー冥利に尽きると思う。

これからも初心を忘れず、
マイペースで更新していければ、
と考えている。

今後の展開にこうご期待。
稲川淳二氏の想い出
恐らく“怖いもの好き”なら
一度は通るであろう、
『稲川淳二の怪談』。

私も例外に漏れず、
若い頃は嵌っていたものである。


特に毎年夏に慣行される、
『ミステリーナイトツアー』
は何時も楽しみにしていた。

クラブチッタ川崎での
オールナイト公演も良いのだが、

私が一番想い出に残っているのが、
九州は福岡に在る
住吉神社の能楽殿での公演である。


真夏の暑い日に開催されたのだが、
件の能楽殿には冷房設備が無かった。

なので会場には
幾つもの『氷柱』が設置され、
雰囲気を盛り上げていた。


(当時)
私はファンクラブに入会していたので、
脇正面最前列に優先席が用意されていた。

手を伸ばせば届きそうな程の目の前で、
私は『稲川怪談』を堪能した。


改めて言うのも野暮な気もするが、
彼の語り口は最早立派な『話芸』である。

能舞台の真ん中で、
お得意の怪談を披露する姿は、
まるで能楽のシテ(主役)の語り
にも通ずるものがあった。

束の間、異世界へと導いてくれる、
それもまた能楽と通じるものを感じた。


演目は他の公演と一緒だったし、
会場の都合上、
心霊写真のコーナーは無かった。

それでも充分に怪異を“愉しんだ”私は、
満足気に会場を後にしたのを憶えている。


今なお現役。
稲川氏の怪談の魅力は衰える事が無く、
『流石!』としか言い様がない。

最近は創作の噺も披露していると聞いたが、
それでも“稲川節”が健在なら、
それもまた良しとしたい。

彼の噺を聴いていると、
『怪談』も一つの伝統芸能なのだ、
と気付かせてくれる。


またいつの日か、彼の舞台を
観れる機会が訪れる事を願いつつ、
筆を置きたいと思う。
相性の悪い家
高校生の頃。

友人のE君の家で、
一晩中TVゲームをやろう
という企画が持ち上がった。

私は二つ返事で参加を快諾した。


当日、授業が終わると、
4・5名でE君の家を訪れた。

其処で突然、私に異変が起きた。

気分が悪くなり、
横になったまま動けなくなった。

何だかよく解らない耳鳴りがした。

見えない“何か”に
体を抑え込まれた感じがした。


そして遂に私は嘔吐した。

『もう駄目だ』と思った。

霊能者から教わった
軽いお祓いを行うと、
幾分気分が良くなった。


これ以上此処に居ると不味い。
私は本能的にそう感じた。

E君には申し訳ないが、
どうやら私とE君の家は、
相性が悪かったらしい。

私は一人で帰ると皆に告げた。
皆もそれを了承してくれた。


E君の家を出た途端、
あれだけ具合の悪かった体調が、
嘘の様に回復した。

例えるなら、私が最も苦手とする
『心霊スポット』を訪れた時の感覚と
非常によく似ていた。


私は生き辛い我が身を呪った。
(霊能者にも言われたが)
友人関係ですら霊的な意味合いで、
選択しなければならなかった。

そんな何処か薄暗く悲壮感の漂う、
青春時代のエピソードである。