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痛風男の備忘録
怪異譚に憑りつかれた、或る男の半生を綴ります。
祖母への詫び状
私の家族は、
父が船乗りだった事もあり、
事実上、
母と祖母が子供の面倒を見ていた。

祖母には大変世話になった。
感謝しきれない程である。


そんな祖母だが、
一人娘に先立たれたショックで、
重度の認知症になってしまった。

引き籠り当時、
私はそんな祖母に当たり散らしていた。


暴力を振るったり、
(是は既に解決済だが)
祖母の年金に手を出したりしていた。

私は今現在も、
決して許されない罪を抱え生きている。


『虫の知らせ』という言葉がある。

我が一族では、
それは時として『ゲジゲジ』という化身で、
その死を知らせる風習が在った。
(勿論是とは異なる場合もあった)


祖母は亡くなる寸前、
(引き籠りから脱した)
私の前に仮の姿で現れた。

然し(当時)多忙だった私は、
情け容赦無く、殺虫剤を吹きかけた。


(是は私の想像に過ぎないが)
恐らく祖母は死に面した際、
こう言っただろう。

『健太郎・・・健太郎・・・』
現れた祖母の化身に対して、
殺虫剤を放った私に向けて、
『嫌だよ。何でそんな事するの?』
そうして息を引き取ったに違いない。


当然、
私は祖母の葬儀には呼ばれなかった。

毎年秋になると当時を想い出し、
罪の意識と共に憂鬱な気分になる。

一生懸けても決して償えない、
そんな罪悪感と共に私は生きていく。


過去に一度だけ、
祖母は化けて出て来た事があった。

死をもって認知症から解放され、
正気に戻った祖母は、
私に怒りの表情を見せていた。


私も何時かは其方へ逝くだろう。
その時は精一杯の誠意をもって祖母に謝りたい。

決して許されるとは思っていないが・・・。
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染み
幼い頃の話。

実家の二階の部屋の柱に、
三点の染みができた。

それらは日に日に拡張してゆき、
やがてその周りに輪郭が現れた。

染みはまるで生き物のように成長し、
最終的にそれは『男の顔』になった。


非常に落ち着いた顔立ちで、
何かを悟った表情にも見えた。

特に邪気は感じられなかったので、
家族は皆、それを長い間放置した。


それでも畏怖の念というか、
その尋常でない雰囲気に、
私達は皆たじろいていた。

何時になってもその顔は消えず、
何だか気持ち悪かったので、

その柱の前に物を置いて、
『男の顔』を見えないようにした。


何か変化があるかと思ったが、
特に何も起こらなかった。

霊能者に尋ねても、
格別何も感じないとの事だった。

それは実家が解体されるまで、
二階の部屋の柱に居続けた。


今にして思うに、
あれは恐らく『ご先祖様の一人』
だったのではないか?と私は思う。

柱の中から、私達家族を
見守ってくれていたのでは
なかろうか?

そう受け止めると、
何処か暖かみのある怪異
と言えるだろう。
NIGHT HEAD
人間の脳の約70%は、
眠った状態にあると言う。

過去この部分を自由に使えた人物は、
例えばモーツァルトやアインシュタイン
だったと言われている。


私が高校生の頃。
ちょっとした超能力ブームがあった。

TVでは挙って特番が放送され、
その注目度は高かったと記憶している。


或る時、偶々家族で
TVの『超能力特番』を観ていた時。

母親が突然『スプーン曲げ』に
チャレンジしようと言い出した。

馬鹿らしいとは思いつつ、
私は母親の提言を受け入れた。


一本の小さなスプーンを持たされた私は、
TVの向こう側からメッセージを送り続ける
自称・超能力者をまじまじと眺めていた。

暫くして彼の念波が通じたのか?
私の手の中のスプーンは、
いとも簡単にグニャと曲がった。

それを見て、
何故か母は非常に喜んでいた。


以来、私は感情が高ぶると、
金属製の食器を曲げてしまう
変な癖がついてしまった。

別に自分に特別な力が有る
とは思わないが、

世の中には、
科学では説明しきれない事柄が、
確かに存在するのだと解釈した。


幸いなことに今現在、
私にそんな能力は無い。

それで良いと思う。

食器は食事をする際使う物であって、
曲げる為に作られた物ではないのだから。
UFO
『未確認飛行物体』

私はその手の類には
全く興味・関心が無いのだが、
過去に一度だけそれらしき物を
見た事がある。


中学生の頃。
或る日の夕方。

JR京葉線の海浜幕張駅で
電車を待っていた時、


海辺の空に
銀色の飛行体を確認した。

それは円盤状で出来ており、
左右に行ったり来たりした後、

オレンジ色の光を発しながら、
凄いスピードでその場を立ち去った。


明らかに飛行機とは違う
見た目と動きだった。

だから何だと言われれば
其れ迄だが、

世の中には
不可思議な物が在るのだな、
と思った次第。
叔父の臨終
浅草に住んでいた親戚には、
何かと世話になった。

叔母は家に嫉妬していたので、
余り親密な付き合いは無かったが、
叔父は浅草から引っ越してからも、
大変世話になった。


叔父の容体が悪いのは、
人伝に聞いていた。

然しその別れは、
意外と覚悟のうえでやって来た。


引き籠りの頃。
実家の二階の部屋で昼寝をしていると、
ゲジゲジが私の周りをうろついていた。

誰か身内に不幸があったのか?
そう私は薄々感じていた。


或る時、
左腕に尋常でない痛みを感じた。

『白昼夢』とでも言うのだろうか?
暫くすると薄明るい部屋に、
紛れもない叔父が訪れて来た。

何を伝えられたか?
詳しい内容は忘れてしまったが、
恐らく『(私の)祖母の面倒を頼む』、
そんな事だったと記憶している。


叔父の不幸は、
無情にも叔母からのFAXで伝えられた。

『葬儀への参列が難しいだろうから、
FAXでの伝達で失礼させて頂く』
そんな内容だったと思う。


要するに、何だかんだ言いつつ、
私と叔父の(個別の)対面を、
叔母は許さなかったのだろう。

何だか後味の悪い結末となってしまったが、
此方もいい加減大人だったので、
(仕方なく)その流れに乗る事にした。


叔父とはもっと色々な話をしたかった。

彼は貧弱な体形だったが、
『漢(おとこ)』の何たるかを
知っている人だった。

叔母は信用出来なかったが、
叔父は頼りがいのある人だった。


『今はもう誰も・・・』
こうしてブログに綴る事が、
少しでも叔父の供養になると願いつつ、
筆を置きたいと思う。