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痛風男の備忘録
怪異譚に憑りつかれた、或る男の半生を綴ります。
伝統芸能への誘い
この辺で一つ、
新たなカテゴリを追加しようと思う。


私は大の伝統芸能好きで、
今迄様々な舞台を観て来た。

その幽かな記憶を頼りに、
不定期ながら、
記事を書いていこうと思う。


雅楽(含・舞楽)、声明、平曲、
能楽、人形浄瑠璃・・・

恐らく歌舞伎以外の伝統芸能は、
大方観て来ている筈である。


その中で頻りに感じるのは、

伝統芸能とは、
日本の精神史に於ける、
鎮魂の語り部である、と言う事だ。

異界を扱うこのブログにとって、
伝統芸能の記事を投稿するのは、
非常に意味の在る行為ではないか?

私はそう考えている。


不定期ではあるが、
古人の娯楽に想いを馳せ、
(読者の皆様にとっても)
興味深い記事が書けたらと思う次第。
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追儺会
世間一般的に、
今日は『節分』の日である。

然し是は陰陽道での呼び名であり、
仏教的には『追儺会(ついなえ)』
が正式な名称である。


『儺』という言葉は、
遥か昔大陸から伝わって来た。

元々の意味は『霊魂』である。
それが時代の変遷と共に、
何時しか『悪霊・怨霊』の意味で
使われるようになった。

そして最終的に
『鬼』を指す単語となった訳である。


『追儺会』は本来、
年末12月31日大晦日に行われていた。
一年の穢れを落とし、
無事に新年を迎える為の行事だった。

それが(寺社の都合もあってか)
何時の間にか、旧正月の2月に
移行して現在に至る。


此処で、私が今迄に観た『追儺会』で、
特に印象深いものを紹介したいと思う。


京都の吉田神社の『追儺会』。

数匹の鬼が登場して、
これを方相氏という呪術師が、
呪文を唱え鬼を退散させる。

その際、
方相氏は鳥居に向かい弓を射る。
その行為に何の意味があったかは、
残念ながら覚えていない。

ただ呪術師の呪文により、
鬼を退散させる寸劇は、
非常に興味深かったのを覚えている。


奈良の長谷寺の『だだ押し』

その名称については諸説あるようだが、
未だに詳しい事は解っていない。

この行事でも数匹の鬼が登場し、
御堂の周囲を練り歩く。

やがて鬼達は堂内に侵入するが、
僧侶の唱える経文に耐えかね、
その姿を消す。そんな寸劇である。


『だだ押し』は古来の姿を留めており、

猿楽(現・能楽)の演者達が、
まだ寺社に帰属していた頃、
この様な行事での鬼役を、僧侶に代わって
猿楽の演者達が務めていた。

そんな記録が残っている事などから、
私が思うに『だだ押し』は、
その原型を現代に伝えている気がしてならない。


以上、私の印象に残っている
『追儺会』を紹介させて頂いた。

因みに『鬼は外、福は内』と唱えながら
豆を撒く風習は、室町時代以降に始まった
と言われている。

年に一度の『節分』(正確には一度ではないが)。
恵方巻を食べるのも良いが、
古人から受け継がれた伝統に、
想いを馳せるのも良いのではなかろうか?
能楽 『土蜘蛛』
新たなカテゴリ第2弾は、
能楽『土蜘蛛』について。

先ずはその粗筋から。


源頼光は謎の病に伏せていた。
そんな所に一人の僧侶(土蜘蛛の化身)が
現れる。

僧侶は頼光に向け、
蜘蛛の巣状の糸を投げつけ逃走する。
頼光も反撃をした為、僧侶は傷を負っていた。

臣下達は、僧侶の残した血痕を頼りに、
敵のあじとを突き詰める事に成功する。

此処に頼光の臣下と、
正体を現した土蜘蛛との戦が始まる。

結果、臣下の勝利となり、
頼光の病状も回復し、一件落着となる。


一見すると、 
“異類退治”に拠る英雄譚に思えるが。
然し・・・

そもそも『土蜘蛛』とは、
『中央政府に服従しない地方の反逆部族』
の俗称なのである。

つまりこの曲は、見方を変えると、
『政府に拠る地方討伐の一場面』となる。


日本の中世に於いて、
文字を読み書き出来る庶民は、
ごく僅かだったと思われる。

そんな民にとって、
各種文献を具現化したと言う点で、
能楽は唯一無二の存在だったであろう。

そう考えるとこの曲は、平たく言えば、
『中央に逆らうとどうなるか?』という、
或る意味プロパガンダ的な要素を含んだ
演劇と考えられる。


日本の表舞台に顔を出す事無く、
滅亡していった地方部族達。

その断末魔の叫びさえ聞こえて来る。
能楽『土蜘蛛』は、
そんな裏側を秘めた作品と言えよう。
舞楽 『採桑老』
『舞うと死ぬ』
その昔、
そんな物騒な都市伝説が流布されたので、
記憶にある方もいらっしゃるかもしれない。



『採桑老(さいそうろう)』
元々この曲は、
或る家の“一子相伝”の秘曲であった。

それが或る時、
それを妬んだ他家の楽人に、
正当な継承者が暗殺されてしまう事件があった。

以来、この曲は伝承が途絶えており、
復曲したのは近代になってからと言われている。

そんな或る意味“黒歴史”を抱えているから、
上記の様な噂がたったのかもしれない。


私は以前、大阪の四天王寺の聖霊会にて、
この曲を鑑賞している。
だからと言って、私の身に何が起きた訳ではない。

今現在も『採桑老』を観るアイテムは存在する。
こちら→『東儀俊美 半寿の楽舞/第二回雅楽道友会演奏会』


この曲で注目すべき点は、使用される仮面にある。
一般的に舞楽面は、『吊り顎』と言って、
頭部と顎部は別々の木材を使用して造られている。

然し『採桑老』で使用される仮面は、
『切り顎』と呼ばれる上下一致した木材で造られており、
非常に珍しい技法を用いている。

この技法は、
後に能楽の『翁』に使用される仮面や、
岩手県平泉・毛越寺の、
『延年之舞』に使用される古面へと受け継がれている。

そういった意味で、この『採桑老』は、
芸能史的視点に於いても、非常に貴重な楽曲と言える。


何でもかんでもオカルトにするのは簡単だが、
時に冷静に対象と接する事も必要なのでは?
『採桑老』を考えるとそう思わざるを得ない。

『呪いの楽曲』ではなく、
その奥底に古人が籠めた想いを改めて感じたい。
其処に初めてこの楽曲の存在意義が見いだせる。
私はそう思うのだが、皆さんは如何だろうか?
東大寺 修二会
奈良の春は、
東大寺の修二会で始まると言う。

世間一般的には、どうしても
『お松明』『お水取り』に
注目が集まりがちだが、

修二会の真のクライマックスは、
二月堂内で執り行う『声明』にある
と言えるであろう。


『声明』とは、
要するに読経の事であるが、

単にお経を唱えるのでは無く、
『五体投地』を始めとした、
様々な所作事を行う為、

視聴覚双方に魅力溢れた行事となる。


私も何度か、
この東大寺・修二会の声明を
見学した事があるが、

それは能楽の謡にも通ずる、
非常に魅力的な一夜であった事を
覚えている。


基本的に誰でも
二月堂内にて見学出来るので、
興味のある方は、是非一度
鑑賞する事をお勧めする。


参考 ①東大寺・修二会について
    古典芸能ベスト・セレクション~名手・名曲・名演集「東大寺 お水取り」